チャットレディの先輩に学ぶ!失恋の乗り越え方

こんにちは!ちょこ札幌事務所スタッフです。

皆さんは、恋愛をしてますか?もしくは、失恋していませんか?このコロナ禍の中での恋愛というものは、やはり難しいですよね。

そもそも私たちは、数学や国語など基礎的な必須科目は、総じて学校で熱心に教えてもらえるのにもかかわらず、恋愛の方法だけは一から自分自身で学ばなければいけません。しかし、よくよく考えてみれば、これは何ともおかしな話ではないでしょうか。

もちろん、多少の相談などは誰しもが行うでしょうが、この恋愛というものだけは、右も左も分からぬような手探りの状況から始めなければなりません。完全攻略の手解き書などが欲しい所ですが、生憎そんなものは存在しません。

だからこそ、後にも先にも失敗が繰り返されているわけなのですが、私たちのような現代人は、自分自身で気軽に調べて学ぶことができます。この文明の利器によって、日々の生活を支えられているという人も多いのではないでしょうか。実は、かくいう私もそのうちの一人です。

私たちは、歴史や化学などと同様、恋愛についても先人の歩んだ道に学ぶことが可能です。それでは、ここでは平安時代を生きた和泉式部の和歌に注目をして、現代語訳を交えつつ、彼女の恋愛遍歴を辿っていきたいと思います。

和泉式部とはどんな人?

平安時代には、いわゆる女流日記文学が盛んに創出されました。そこには、奔放且つ劇的に愛を生きた女性たちの姿が、何とも赤裸々に綴られています。

和泉式部は、女房三十六歌仙にも選ばれた、平安時代中期に活躍した歌人です。大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻となったことから、父の官名と夫の任国とを合わせて「和泉式部」と呼ばれました。この道貞との間に娘・小式部内侍を儲けています。

まだ道貞の妻だった頃、冷泉天皇の第三皇子である為尊親王との熱愛が世に喧伝されました。また、為尊親王の死後の翌年、その同母弟である敦道親王の求愛を受けます。この求愛は熱烈を極め、親王は式部を邸に迎えようとし、結果として正妃が家出するに至ります。

敦道親王との間に一子永覚を儲けますが、兄と同じく、敦道親王も寛弘4年に早世してしまいます。服喪を終えた式部は、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕を始めました。紫式部を始め、赤染衛門、伊勢大輔らと共に時の中宮・藤原彰子に仕え、華やかりし女流文学勃興の一役を担いました。

しかし、そんなお堅い職業とは裏腹に、皆様もご承知のとおり、和泉式部は多情なことで現代にまで知られています。かの藤原道長には「浮かれ女」などという何とも不名誉な呼称をされていた程です。また、同じく女房であった紫式部からも「和泉式部といふ人こそ、面白う書き交しける。されど、和泉はけしからぬ方こそあれ」つまり、「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と厳しく批評されています。

結局和泉式部は、四十歳を過ぎた頃、彰子の父藤原道長の家司藤原保昌と再婚し、丹後守となった夫とともにその任国に下りました。

その和泉式部は、冷泉天皇の第四皇子・敦道親王との恋を「和泉式部日記」に綴っています。

代表的な和歌

恋多き女性であった和泉式部。彼女が残した和歌は、恋歌に情熱的な秀歌が多く後世に残されています。

それでは、いくつかの和歌を取り上げて見ていきましょう。

「よもすがら なにごとをかは 思ひつる 窓打つ雨の 音を聞きつつ」

雨が窓を打つ音を聞きつつ、一晩中あなたを想っていたのですよ。

「涙川 おなじ身よりは ながるれど 恋をば消たぬ ものにぞありける」

川のように流れる涙も恋の火も同じ身体から流れ出るけれど、涙の川では恋の火を消さないものです。

「世の中に 恋てふ色は なけれども 深く身にしむ 物ぞありける」

世の中に恋という色は無いけれど、色が布を染めるように、恋は深く身に沁みるものです。

「君恋ふる 心はちぢに くだくれど ひとつも失せぬ 物にぞありける」

あなたを恋しく思う心は千々に砕けていますが、そのかけらはひとつもなくならず、やはりあなたが恋しい。

「惜しまるる 涙に影は とまらなむ 心も知らず 秋は行くとも」

惜しんで止まらない涙に、あなたの面影をとどめます。

「あらざらむ この世のほかの 思ひでに 今ひとたびの 逢ふこともがな」

私はもうすぐ死んでしまうだろうけれども、この世の最後の思い出に、もう一度あの人に逢いたい。

平安貴族の結婚といえば、一夫多妻制です。当時の結婚生活は、男女がそれぞれ別々に生活し、夫が妻の家へと通う「通い婚」が一般的でした。結婚についての規則としては、婚姻令が定められていました。

まず、当時の女性は顔を見せないようにしていた為、男性は垣間見や世間の噂から意中の女性を見つけていました。そして男性は、その女性に懸想文といわれる恋文を仲介人を介して贈ります。相手の女性から承諾の手紙を貰うと、女房に手引きを頼んで吉日の夜に女性の部屋へと赴きます。一夜を共にした後、後朝の歌を贈答し、三日間続けて女性の所へと通います。そして、三日目に三日夜の餅の儀などを行って、漸く初めて婚姻が成立するのです。

結婚後、男性は好きな時に好きな女性のもとへと赴くだけいいのですが、女性は御簾裏で男性の訪れをただひたすらに待ちしのぶのみ。現代人には想像だにもできない不平等が、男女を隔てていました。

そんな平安女性が唯一できることと言えば、やはり歌を詠むことでした。恋慕や嫉妬、悲嘆、憂愁、女性の心に渦巻く複雑な心情は、ひとえに和歌へと託されたのです。

いかがでしたでしょうか。恋多き女流歌人であった和泉式部の和歌からも伝わってくるように、いつの時代にも失恋はつきものなのです。失敗しても大丈夫です。たくさんの出会いを繰り返し、ゆっくり学んでいくしかありません。

文明が発達した現代では、TwitterやInstagramなど多種多様なSNSという便利なツールがあります。私たちには、自分自身が日々思ったことを気軽に文章の形で吐き出せる場所があるのです。その内容が万人に肯定されるか否かは別として、自分の思いを伝えるツールを活用しない手はありません。

「ひと夜見し 月ぞと思へば ながむれど 心もゆかず 目は空にして」(あの晩あなたと一緒に見た月だと思うと、心は上の空です)

夏が過ぎ、涼しくなり始めたこの時期は、月が非常に美しいです。平安に生きた彼女も、この月を見上げて愛しい人のことを想っていたのでしょう。

ひたすら泣いて、思いの丈を吐露する。泣いて、思いを綴って、そうして皆乗り越えてきたのです。ひたすら泣いた後は、きっと次の恋愛へと踏み出せます。

ちょこ札幌の事務所スタッフの中には、チャットレディ経験者も多数在籍していますので、何か分からない事や不安な事があれば気軽に相談してくださいね♪

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